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【Books】ベズーホフ伯爵の相続 「戦争と平和」トルストイ作 より

2017.01.01

 昨年はNHKで放映されたBBC制作の「戦争と平和」を楽しませてもらいました。
レフ・トルストイ私は、トルストイ(中村白葉訳)の小説を中学生の頃読み、映画ではイタリア・アメリカ合作版(1956年)、ソビエト版(1967年)とも観ていましたが、小説や映画もそれを鑑賞するタイミングによって、また新たな発見があるものです。今回の全8回のシリーズでも発見がいくつもありました。今回はその発見の一つ「ベズーホフ伯爵の相続」についてです。

 そもそも、この長い長い「戦争と平和」は、このキリール・ウラヂーミロヴィッチ・ベズーホフ伯爵の相続から始まります。ベズーホフ伯爵は、数百万ルーブルにおよぶ財産と4万人の農奴を有する大富豪でした。財産を表現するのに農奴の数というのは、いかにもロシアらしいですね。

 一方、瀕死のベズーホフ伯爵には妻も嫡出子もなく、直系の相続人は3人の姪とワシーリイ公爵の妻(関係不明)を加えて4名でした。主人公のピエールはベズーホフ伯爵の庶子(非嫡出子)でした。ロシアの法律のことはわかりませんが、どうやら遺言がないと直系相続人と書かれている4名に遺産が配分されたようです。

 ここで、登場するのが、親戚筋でベズーホフ伯爵に子のボリースの名付親になってもらっていたアンナ・ミハイロヴナ・ドルベツコーイ公爵夫人です。相続人にはなり得ない公爵夫人でしたが、庶子のピエールに相続させることで、ピエールに恩義を売って見返りを得ようと目論んでいました。そして、ピエールに遺産を遺すようにベズーホフ伯爵に画策していたようなのです。
 その遺言の存在に気付いたワシーリイ公爵はその遺言の破棄を狙っていました。弁護士に確認したところ、その遺言とピエールへの伯爵家の譲渡に関する皇帝への上奏文があれば、全財産がピエールに行ってしまうことがわかったからです。

 そして、ここからがベズーホフ伯爵の臨終の邸内における物語です。
ワシーリイ公爵は相続権のある3人の姪の長女であるカラリーナ・セミョーノヴィチに遺言のありかを尋ねます。カラリーナは法律に関する無知から、遺言があったとしても庶子には財産が遺せないと誤解していたため、遺言のことは知っていたものの、無視していたのです。
ワシーリイ公爵の説明に感情的になって激高するカラリーナに、弁護士にまで相談した結果であることを丁寧に説明します。なんと言っても巨額の遺産の行方がかかっていますから。そしてカラリーナから、その遺言がベズーホフ伯爵のベッドの枕の下にあるモザイクの書類ばさみの中にあることを聞き出します。大切なものは身近においておくのですね。

 そんな時、ピエールはアンナ・ミハイロヴナ・ドルベツコーイ公爵夫人に付き添われてベズーホフ伯爵の邸宅に到着します。
臨終の床にあるベズーホフ伯爵のベッドの周りに関係者が集まる中、ワシーリイ公爵とカラリーナは他の人に気付かれないように、枕の下から遺言の入ったモザイクの書類ばさみをそっと引き出して部屋を出ます。ベズーホフ伯爵が眠ってしまったため皆その部屋から出ていきますが、ワシーリイ公爵はさらに隣の部屋にお茶を出させて関係者をベズーホフ伯爵から遠ざけようとします。隙を見てカラリーナと供にベズーホフ伯爵の部屋に戻って、伯爵に遺言を取り消させるつもりだったのです。
 しかし、ドルベツコーイ公爵夫人はそんな二人に騙されませんでした。二人を追って伯爵の隣の部屋に戻り、カラリーナの持つモザイクの書類ばさみを取り上げたのです。ベズーホフ伯爵をこのまま静かに逝かせるべきだと主張します。遺言の取消の話しはさせないということです。ここからカラリーナとドルベツコーイ公爵夫人の間で数回遺言の奪い合い、ひったくり合いが行われます。こうなると争族も実力行使です。

 そこへ突然、相続人の末の姪が病室から出てきてベズーホフ伯爵の死を告げます。
カラリーナは持っていた遺言の入った書類ばさみをとり落とします。万事休す……
伯爵の死により、もはやこの遺言を取り消すことはできなくなり、ピエールに全財産が遺されることが決定したのです。 

 

 なぜ、ベズーホフ伯爵は庶子のピエールに全財産を相続させたのでしょう?
まず、忘れられがちなのですが、相続の大前提は、被相続人が何のために相続させるかなのです。相続人の立場からは誰がいくらかが気になりますが、被相続人にとっては何のために財産を遺すかが第一で、その目的を実現するために誰に任せるかが第二だと言えます。被相続人に相続財産を死後も活用するしっかりとした目的があれば、責任感を持って真剣に準備するでしょうし、それがなければ放置(遺言なき死)するでしょう。
 ベズーホフ伯爵の関心は広大な領地、多数の領民と財産の管理を誰に後継させるかという点にあったと想像できます。目的がその点にあったとすれば、3人の姪や放蕩娘と息子を持つワシーリイ公爵という選択肢はなかったのでしょう。その点、ピエールはその人格、知性から考えて彼の領地と財産の管理・運営をうまくやってくれるとの期待を担っていたのです。それが正しかったことは、その後のストーリーが裏書きをしています。

 もう一点参考になる点があります。ドルベツコーイ公爵夫人はベズーホフ伯爵邸を辞去する前に、当日邸内で何が起こっていたのか理解していなかったピエールに言い残します。「もし、わたくしがあの場にいませんでしたら、何が起こっていたかしれませんでしたのよ・・・」(※)公爵夫人は相続人となったピエールに恩を忘れさせないように言い残したつもりだったかもしれませんが、遺言者のベズーホフ伯爵に言うべきだったかもしれません。と言うのは、ドルベツコーイ公爵夫人という援助者がいなければベズーホフ伯爵の遺言は反故にされていたかもしれないからです。伯爵の意思能力が減少した際に、ドルベツコーイ公爵夫人は彼女自身の動機からたまたまその遺言の守り手として機能したのです。遺言の形式、保全の重要性を垣間見せてくれたシーンです。

 一方、法定の相続人でもなかったピエールと、遺言を書かれるとそれを失う可能性のあったワシーリイ公爵の妻と3人の姪は全く備えがありませんでした。とは言っても、対策のしようはなかったのです。被相続人に相続の目的があり、それの実行者として認められなければ、相続人にはなり得ないのですから。

 物語は、主人公のピエールが巨万の財産を相続することで回り始めます。また、妻の相続に失敗したワシーリイ公爵はこの後 娘のエレナをピエールに嫁がせることで相続における失敗の挽回を図ります。相続は有能な相続人の人生を加速する効果があると言って良いでしょう。
 トルストイがベズーホフ伯爵の相続を物語のはじまりに据えたのはなぜなのでしょうか。それは読み進めることによって明らかになります。

齋藤真衡

※「戦争と平和」中村白葉 訳 河出書房

 

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