【Books】自分史の書き方 立花隆
本書は、立花隆が立教大学の社会人教室において自分史の制作を指導したカリキュラムをベースに自分史の意味を紹介しています。
冒頭に、60歳はリタイア年齢としては若すぎる。60歳を人生の中間地点として、セカンドステージがスタートする再出発地点だと考えて、どこに向かうべきかを考える際に過去を中締めして未来の可能性を展望すべきだと書いています。そのために必要なのが、じっくり考えることと学び直しであるというのです。
知人が本書を読んで、三十数年間勤めた会社を退社した直後に、彼がコンテと表現する「自分年表」と「人間関係クラスターマップ」の2つを創ってみたそうです。
excelで作った年表に、その年の本人にまつわるエピソードと社会の動きを併記していきます。キーワードをプロットしていくだけで、行間を説明で埋めるまでもなく、脳裏には忘れていたエピソードが驚くほど蘇ってきたと言うのです。そして、意識的に問うまでもなく、そのエピソードが現在の本人に及ぼした影響が感じられたそうです。
年表の作成だけでも過去の記録を照合しなくては進まないので、アルバムや手帳をめくりながらそれなりに大変だったようですが、丸一日の作業で、今までの人生の旅に経験した大きなトピックとその影響を捉えることができたと言います。
そして、蘇ったいくつかのエピソードが、自分を少し誉めてやりたいような気持ちにさせたのです。結果としては、変えられない本人の多くと、変えたい少しの本人を発見したそうです。今後、セカンドライフの旅とともに、過去の年表のエピソードの行間をすこしずつ埋めていきたいと話していました。
立花隆はこう書いています。
「結局、自分史を書くということは、こういうことなんだと思う。人はみな死ぬ。一人の人の死とともに、多くのものが失われる。その人の脳の中にあった記憶が失われる。その人の記憶が失われるとともに、その人の記憶がつないでいた記憶のネットワークの当該部分が抜け落ちる。世界は、モノの集合体として存在するとともに、同時代を構成するたくさんの人間たちが共有する壮大な記憶のネットワークとして存在している。この世界の主要な構成部分として社大な全人類的規模の記憶のネットワークがあるのだ。・・・それは、特定の何人かの周辺的存在者(友人知人縁故者)にとつては、失われては困るかけがえのない記憶なのだ。」
自分史の意味は記憶・記録ではありません。筆者の言う通り、この後のストーリーを考えるところにあるのです。
我々も旅する人間の物語を続けて、時々振り返る旅を何回も楽しみたいものです。