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【Books】「フランクリン・ローズヴェルト」

2019.04.29

「FDRの遺言」でFDRのミッシーに対する気持ちについて書きましたが、「フランクリン・ローズヴェルト」には様々なハンデキャップと戦っていたFDRのプライベートなエピソードが多々記されています。大統領としての政治的な判断にプライベートな環境の影響を無視することはできません。ここではその中でも想いを込めた遺品についてのエピソードを2つ挙げてみましょう。モノには気持ちが入り、ある時からモノは象徴になるのです。

◇ FDRの母セイラの箱

セイラはひとり息子のFDRを溺愛しました。高齢の夫との結婚でしたし、FDRは大変な難産(出産に24時間かかった)の末生まれました。また、幼少期から病弱な息子をセイラは支えました。その影響は彼が大統領になってからも続いていたと言います。1941年9月7日セイラはハイドパークで亡くなります。

FDRがハイドパークの屋敷にて秘書のグレイス・タリーとセイラの遺品整理をしていた際、今まで見たこともない箱を発見しました。開いてみるとそこには、FDRが初めてはいた靴、洗礼の時に着たベビー服、赤ん坊のときのオモチャ、初めて切った一房の頭髪、母のためにFDRが作ったプレゼントなどが出て着たのです。それらには一つ一つに見慣れた筆跡で注意深く書かれたラベルが貼られていました。
(写真:FDRと腕を組むセイラ)

FDRは涙の跡の残る顔でうつむきながら、ひとりにして欲しいと秘書のタリーに頼んだのです。ホワイトハウスの職員がFDRの涙を見たのがそれが初めてだと言います。セイラはその箱を二人の思い出としてFDRに託したのでしょう。その箱はセイラからのタイムカプセルだったのです。

◇ ミッシー(マーガレート・ラハンド)遺品の箱
FDRの秘書であったミッシーは、姉妹アンの娘ふたりを学資の負担や学校に通う服を買ってやるなど実質的に扶養していました。未婚で子のいないミッシーは、ふたりの姪に下記のように自分の持ち物を分配すること詳細に決めていました。

・マーガリート ミンクのコート、ダイア付時計、ダイアの指輪、FDRが作った手作りの壁掛け式木箱
・バーバラ 白テンのケープ、金の時計、アメジストのイヤリング

残念なことに、最もミッシーが大切にしていたFDR手作りの壁掛け式木箱は姪の子の代にはどのような謂われのあるものかわからずにガレージセールで売りに出されたというのです。
FDRがミッシーに送った木箱は今どこにあるのでしょうか?
想いの伝え方にも工夫がいるようです。

FDRとその周囲の人たちの人間としての生き方、死に方のエピソードに溢れる感動の書です。


「フランクリン・ローズヴェルト」上・下 ドリス・カーンズ・グッドウィン(中央公論新社)

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